20240822
健康情報に関するシグナルとノイズを分ける
毎朝届く勝間和代さんのメルマガを読んだ所感を書いています。
こんにちは、かののんです。
メールの最後の質問を読んで思ったことを投稿します。
・あなたは、様々な健康に関する情報をシグナルとノイズと言ったような目で見ていることはありますか? ほとんどの健康情報はノイズであるということを理解していますか?
→健康情報に限らず、大体の情報はノイズであると感じています。
実はまだ8月の月例会を半分ぐらいしか視聴できていないのですが、「流暢な情報」を信じ込まないように気をつけようと思います。
・あなたは、健康は安易に課金をして手に入るものではなく、様々な生活習慣から5年単位10年単位で積み上げていく必要があるということを理解し、そのように実行してきていますか?
→今日のメールでよくわかりました。
今日は買った冷凍のピザを食べたのですが、それだけでも味は美味しいのですが、幸い「出来合いのものを食べる」というちょっとした罪悪感は持っていますので、ちりめんじゃこ他、いろいろなものをトッピングして焼きました。
出来合いのものを食べないということはできないので、ちりめんじゃこを乗せる、こういうちょっとしたことを地道に積み重ねて行こうと思います。
・あなたは、何がシグナルで何がノイズかについては、事前には分かりにくいものの、なるべく長年の蓄積から自分の中にシグナルを残していって、それを生活習慣に落とし込んでいますか?
→私も歩くのは早い方だと思っています。
(とはいえ骨密度検診では、年齢的なものもあり、少しずつ骨量が減少しつつあり、黄色信号です。
このメールを機会に毎年受けていた市の骨密度検診(DXA法)を今年はまだ受けていないことに気づき、申し込みました。)
歩行スピードはエビデンスに基づいて健康を示すものであるということを知ったのは嬉しかったです。
こうやって歩き続けられる体を維持して行こうと思いました。
一方「わかりやすい答えというものを欲しがらない」ということは、何事においても、特に健康においても大切なんだなあ、と思いました。
そういえば、少し前ですが、こんなことがありました。
あるデパ地下のサラダ屋さんでの出来事です。
量り売りしてもらったお惣菜を「レンジで少し温めると美味しいですよ」と言われながら、ショーケース越しに受け取ったお客さん(若めの男性)が、販売員さんに聞いたのです。
「何分レンジで温めますか?」販売員さんが奥の方に2回確認に行くようなやりとりがあり、そして最終的には「1分」という実に端的な答えをもらって、納得して帰られました。
私は「ちょっと温まるまで温めたらいいじゃん」とか「レンジのワット数にも左右されるんじゃ?」とか思ったりしました。
(最近そのサラダ屋さんでは「何ワットのレンジだと何分温めてください」といった小さな紙が貼られて渡されるようになりました。)
とにかく自分なりの感覚というものがゼロだった場合、「何分温めるのか?」具体的に聞いて答えをもらわないと全く見当がつかない人はいて、そういうわかりやすい答えに頼らねばならないんだなぁと、ふと思い出しました。
レンジ温めなどは他愛ない例ですが、特に健康に関わって来る場合「自分でいろいろ考えたり調べたり試した後にこそシグナルが見えてくるんだ」ということを心に留めておきます。