かののん’s diary

振り返ったときに等身大の自己紹介になるようなブログにしたいです。

上級国民下級国民/橘玲

 

現代社会の「分断」について、時代・国・人種・ジェンダーなど多岐の分野に渡ってファクトフルに考察されています。

これらの「分断」は意識の水面下に根を張り、新たな分断も生み続けています。

 

特に、新たに細分化されて出現したとされる「マジョリティの中の下層階級」についての分析や考察については、広さや深みとともに、著者特有の鋭さや凄みがあります。

 

「マジョリティの中の下層階級」は、マイノリティ扱いされないため、誰からも手を差し伸べられず、見捨てられた人々になるということに、ここまで切り込むのは著者ならではです。




日本社会のかかえる問題や重大事件についても、言ってはいけない部分や社会の不都合な真実について、次々にあぶりだされます。

重大事件の真相や時代を超えた社会背景も浮かび上がってきます。

 

ただ、団塊の世代に対する言及には、少し残酷が過ぎているかな。

みんな生き延びなければならなかったのだから。

人は生まれる時代をコントロールすることはできないのだから。




ITの登場によって2000年代からは新しい分断も生じ、デジタルデバイドという言葉も生まれました。

今はこの言葉ができた頃よりもっとITリテラシーが求められる世の中になり、デジタルを使いこなせない人が現在進行形でこぼれ落ちています。

 

新しい分断、つまりITを使える側と使えない側の分断。

今は使える側でも、ITがもっともっと高度化したら、使えない側に落ちていくかもしれません。

 

ITの高度化や複雑さの増す速度が人間のITリテラシー向上の限界を超えたときどうなるのでしょう?(↓本書掲載のグラフにおけるB地点)

続々と人々がこぼれ落ち、ほとんどの人がこぼれ落ち、ほんの一握りの人だけが超富裕層として生き残るのでしょうか?

 

この潮流の中で正しい選択とは何でしょうか?

このような未来をどのように生き延びていけばよいのでしょうか?

本書の中に答えはありませんが、戦略はあります。

 

身分社会から知識社会へと変遷した世の中は、次に知識社会の終焉を迎えることになるのかもしれません。

案外早く、私たちは生きている間に「知識社会の行き着く果て」を目にすることになるかもしれません。

 

願わくば本書による知見を「より良い社会を築いていくための礎」にしたいものです。